崔杼は中国春秋時代の政治家です。
ちょっと同情しちゃう人。

最後に失敗して中国史上の極悪人の一人とされてしまいました。

崔杼は中国春秋時代の斉の国に生まれます。
時代は春秋の覇者と言われた桓公が亡くなり混迷しだした時代。
若くして国主に見いだされた俊英でした。

しかしその国主が亡くなると状況が一変します。
先代のお気に入りだった崔杼を新しい国主は他国の使者を侮辱し、
後に戦争で大敗するような人でした。
崔杼は甘言で利権を牛耳る貴族たちに妬まれ国を追われます。

ただ、崔杼を追った国主も敗戦により反省したようで
内治に勤しみ、利権を牛耳る貴族たちの力を抑制し国を立て直していきました。
そして次の国主に至り、崔杼は斉に復帰します。
ここで辣腕を振るい自分を追った貴族たちの勢力を封じ込めて行きました。

ところが、崔杼を復帰させた国主は父と違い反省がありません。
孔子や司馬遷に憧憬を持たれた晏嬰や、崔杼といった名臣が
国を切り盛りする中、他国から送られた側室に誑かされて
太子を廃嫡してしまいます。

これを憂えた崔杼はこっそり太子を匿い続け、
国主が病気で余命幾許も無いことを知ると、
側室とそれが推す子供を討伐して
廃嫡された太子を国主に付けます。

ここで終われば、崔杼は名臣・忠臣として名が残ったはずなのですが。。。。

彼の不幸はこの一度廃嫡された太子が暗愚過ぎたことでした。

大恩あるはずの崔杼の妻が美人であることを知ると
国主の力でこれと密通。

これを知った崔杼の心の裡は如何ばかりか。

若き頃より、斉という国の為に尽くし。
私利私欲に塗れた者たちに追われても、国を想い。
国主の過ちもフォローして身の危険をも顧みず太子を守り抜き。
挙句の果てがこの仕打ちか、と。

崔杼は蹶起し、国主を殺し斉の実権を握ります。

しかしここで、崔杼の後世の評価を決定づける故事、
「崔杼、其の君を弑す」が発生します。

国の公事を記録する史官は、崔杼のこの行為を
「崔杼其君弑」と公文書に残しました。

これを怒った崔杼は史官を殺してしまいました。
本人からすれば、最早あんな男は自分の「君」ではない
と考えていたのかも知れません。

当時はこういった専門職は家業とすることも多かったので
その弟を新しい史官に就けました。

弟も史官を生業にする家の者。
それでも公文書に「崔杼其君弑」と書いたため殺されました。

この事態に斉の公文書を預かる者たちは騒然とします。

二人の兄が殺された後、
さらにその弟が史官に任命されます。

崔杼は新史官に兄達のことを話した上で、
自らの目の前で公文書を書くよう強要します。
崔杼の気に入らないことを書けば、確実に殺される状況。

そして、新史官は公文書に書き込みます。
「崔杼其君弑」と。

能吏だった自分を思い出したのかも知れません。
命を懸けて正しい記録を残そうとする史官を崔杼は許し、
そのままの記録を残したのでした。

今の日本では、指摘を受けても正しい記録を残しませんからね。
明らかに2500年前の崔杼の方がマシな人間と言えるでしょう。

なお、二人目も殺されたことを聞いた地方の史官が
自ら「崔杼其君弑」と書いた公文書を持ち
斉都に向かっており、途中で記録を残せたことを聞いて
任地に戻っていった、という話も併せて残っています。

公文書は命を懸けても正しい記録を残すもの。
歴史に学ぶ為には、正しい記録を残すために
命を懸けてきた者たちの仕事の積み重ねがあったのです。
それこそが長く続く人間の文化の基盤なのです。

今の日本にも、お一方そういう人が居たことがわかっていますが
一向に後に続く気配が見えません。

長い歴史を俯瞰してみれば、2500年前の中国よりも、
今の日本は野蛮な国なのかも知れません。