この人もなぜかあまり知名度が高くありません。
ですが、誰でも知っているあの金太郎のモデルとなった人なのです。

下毛野氏は今の栃木県を発祥とする豪族ですが
公時の時代には京都に住む下級貴族でした。

下毛野公時の生まれはちょうど西暦1000年に生まれます。
そして、1009年宮中警護の近衛府に出仕します。
そう、わずか9歳で。

13歳で決闘に勝ったという宮本武蔵や
同じく13歳で九州で戦闘していた源為朝もビックリですね。

普通であれば近衛府の出仕は20歳くらいからのようです。
宮中警護の役職なので、最低限武芸が必要ですから。
9歳で大人に遜色ないほどの強さを見せたのですね。
金太郎に相通じるものがあります。

12歳の時には、あの藤原道長の警護職となりました。
当然、藤原道長は囲い込もうとします。
この段階で公時の前途は洋々です。

さらに天皇の巡幸にも付き従い、舞踊や騎射にも非凡な才能を見せます。
天皇や上級貴族の覚えもめでたく、
14歳で警護の際、騎乗を許される番長という役職に上ります。
とにかく異例の若さ、異例の出世。
しかも、文武随一の者として誰しもが納得してしまう。
今なら将棋界の藤井聡太二冠を上回るくらいのハイスピード出世と言えるでしょう。

ところが18歳の時、神事の相撲を取る者を探しに福岡に行き
そこで病を得て亡くなってしまいます。

これだけの人物、そしてこれからのはずだった人物。
公時の死は日本中が残念がりました。
百年後でも語り草だったという話もあります。

そして、伝説となった人物は語りつがれ尾ひれがついて
物語となって行くのです。

なお、相撲繋がりで相撲の盛んだった滋賀県坂田郡には
奉納相撲の行われていた「芦柄神社」(あしがらじんじゃ)があります。

おそらくその流れで「坂田金時」の名称や足柄山の金太郎の伝承が
生まれて来たのではないかとされています。