劉大夏明代の政治家でとても有能な人。
にもかかわらず信念と善意での行動が歴史上の悲惨な結果をもたらしたとされる人です。

劉大夏は科挙を優秀な成績で通り、スーパーエリートである翰林庶吉士に任ぜらます。

当時は土木の変(皇帝がモンゴルの虜囚になった事件)が起きたり
戻ってきた英宗が弟の代宗を引きずり落して重祚したりと
混迷の度合いを深めた時代でした。

そこに危険を感じたのでしょう中央で出世できるはずの地位にありながら、
自ら望んで地方官となります。
(この不自然さが後々の汚名に繋がります)

幸か不幸か地方官での事跡は素晴らしく、順調に地方で出世し
黄河の大氾濫の際には、決壊箇所の堤防を短期間で建造し氾濫を治めたことから
皇帝の目にも留まり中央に呼び戻されます。

中央でも十分に力を発揮し、皇帝の信頼を得、軍務大臣にまで上り詰めます。

しかし、名君だった孝宗が崩御し代が変わると一変。
劉瑾を中心とした八虎と呼ばれる宦官集団が蠢動し始めます。

劉大夏は八虎と戦い続けますが、徐々に皇帝から疎まれ、位を剥奪され冤罪により地方に流されます。
この八虎との闘いの日々で事件が起こります。

当時、明代の宦官の英雄と言えば、大艦隊を率い世界を航海した鄭和。
八虎は皇帝に永楽帝時代の栄光を蘇らせることを吹き込んで、
自分たちが主導して鄭和の事跡を再現しようとします。

とはいえ、自分たちだけで鄭和のようなことができるわけもありません。
そのため、鄭和の記録を全て調べようとします。

ここで劉大夏は、この暴挙を止めようと鄭和の航海記録を全て隠した(或いは焼却した)
と言われているのです。

その結果、八虎の暴挙は防げました。

しかし、鄭和の記録が失われたことで中国は大航海時代に乗り遅れ(というか本来は遥かに進んでいた)
ヨーロッパの勃興を許し、新大陸やアフリカ、中国を含むアジアが植民地とされる
悲劇に繋がって行った、ということになったのでした。

鄭和の記録が残っていたら、というのは歴史のifの巨大なものの一つです。
正義を胸に戦っていた結果の行動が、後世の悲劇に繋がってしまう。
記録を後世に残すことの大切さがここでも出てきます。

劉大夏自身はその後、劉瑾が失脚したこともあり、冤罪も晴れましたが
目的のために手段を選ばない行動は、たとえ正義の心があったとしても許されないということの
事例として残っていくことになりました。

記録の廃棄、改ざん、ダメ。ゼッタイ。