中国で独特の国を作ろうした王、馬殷という人。
この人も日本ではあまり知る人がいないと思います。

馬殷が活躍した当時の中国は五代十国時代。
北に割と強い王朝があって、南ではゴチャゴチャ国が興亡していた時代。
その南の十国の一つ、楚の国を建てた人です。

この人、元はただの職人さん。
戦乱の世にあってあれよあれよと言う間に出世して王となりました。

と、聞けば連戦連勝の大英雄のように思われるかも知れませんが、そうではありません。
もちろん、武将として弱かったわけではないですが、
以前紹介した光武帝のように、数千人で百万の大軍を破ったような武勇伝はありません。

強かったトップが死ぬと、直属の上司が跡を継ぎ出世。
それに伴い自分も出世。
これを繰り返し、いつの間にか大勢力のトップに上り詰めちゃったのです。

トップに上り詰めて、馬殷は考えました。

どう考えても自分には、乱世を勝ち切る軍才はない。
そのうえ自分の勢力範囲は中国のど真ん中。
周囲は自分達より強い国だらけ。

・・・それじゃぁ、軍事力で他国に対抗するの止め!

軍事力は多少持つものの、北方の最強国を頼ってその軍事力をちらつかせ
周辺諸国に対抗しようとします。

とは言え、見返りがなければ最強国の庇護などしてくれるはずもありません。
馬殷がその見返りとして、まず選んだのが。
なんと「お茶」。

当時、お茶は中国全体で飲まれるようになりつつありましたが、
元々南方の植物です。北方の大国では栽培できません。
そしてお茶は当時まだ漢方薬のようなものでした。
今でこそビタミンCやカテキンの作用が明らかになっていますが
当時でも経験則で「お茶を飲むと体調が良い」というのが知られていました。

馬殷は、そこに目を付け、高品質のブランド茶を作りあげ
軍事力ではなく、経済力で国を守ろうと考えたのです。

これが成功し、楚は十国中最大の経済力を誇る豊かな国になりました。
また、茶に続き、木綿や絹の大量栽培にも成功し、
後の中国の特産品に多大なる影響を与えたのです。

しかし、馬殷の死後、息子たちの政権争いが勃発。
それぞれ周辺諸国をバックに付けたため、北方の大国の支援は受けられず
あっと言う間に滅んでしまいました。

軍事力に頼らず、繁栄を謳歌する国を作り上げた王、馬殷。
数多くの中国の王の中でも、一際異彩を放つ王様です。